【途中ですが】邪馬台国と狗奴国の物語は日本の土台

縁者 読者の皆さま おはようございます(^^)

前回 悲しく退場したべルドラ(ヒルコ)様ですが
ラウンジの片隅で生ごみと化してたところを
うちの樹精霊達がやってきて
なにやら慰めておりました(笑

ジョーロで水掛けてたのが気にはなったけど
なんとイビキかいて寝てるので
まぁ 良っか!でしばし放置

半日程して見たら
あっという間に
草に覆われた何か?になってたヾ(>▽<)o

不思議なもので会議の方は
べルドラを悪く言う者は皆無で
皆 毒気を抜かれたようにおとなしくなって
笑顔まで見える状況

やはりイザナギ様イザナミ様の息子なんだなぁと
妙に感心してしまいました

皆を惹きつける魅力に溢れた存在
彼が来たお陰で絶妙な感じで
会議がまとまってしまった感じです

暗黒神が彼を恐れた理由が
少し解った気がします

議事進行役の八女の女神さまも
アテルイ様も なにやらホッとした様子

内容については公開出来ないみたいですけど
狗奴国と邪馬台国の過去の因縁の解消

これの大まかな合意の道筋は見えた感じです
ただ問題は邪馬台国を滅亡に導いてしまった
最後の卑弥呼さんの処遇について

何故か邪馬台国側の厳しい反応に
狗奴国側が諫めるという不思議な一幕も。。。

邪馬台国の最後の卑弥呼さん
就任した頃は聡明で公平な人柄だったのですが
長くその地位に就いてるうちに変化していきます

後年 欲望に支配されるようになり
政事を貢物の量にて判断するに至り
あからさまなご神託の改変

最初は皆 疑いを持たなかったのですが
やはり長い間には 
その異常性を感じる者が増えていきます

そんな折 隣国で力をつけてきた狗奴国と
きな臭い状況になっていきます

この狗奴国は元は邪馬台国の一部
九つの支族が邪馬台国から離反した姿です

その時点では 国力はまだ邪馬台国が
圧倒的に優勢ではあったのですが
国をまとめる卑弥呼に対する不信感が
徐々に各部族に広まっていて

そんな中で とうとう狗奴国と衝突
数で勝る邪馬台国ですが
狗奴国は最新の鉄剣を武器として
戦いを優勢に進めていきます

狗奴国の王 狗古智卑狗(きくちひこ)は
武勇に秀でて民衆からも人気があり
なにより人を惹きつけるカリスマ性があった様です

狗古智卑狗(きくちひこ)って どうも官名であって
名ではない感じです

しかも漢字は当て字であり
当時の中国の倭人伝の記述が
現在 一般的に語られてるという事みたいです

これは狗奴国 邪馬台国 卑弥呼の名称も同じで
当時の中国では官吏は帝にたいして
他の国を卑下した文字を使って表現するのが
ごく一般的だったそうです

だから卑しい名称が充てられてるんです

卑弥呼も官名であり代々 卑弥呼が存在します

卑弥呼→日御子(巫女)な感じ
これは字の通り神の宣託を受けるもの

狗奴国→九那国
これは九つの部族から始まった事に由来してます
意味合いは九つの美しい国

狗古智卑狗(きくちひこ)→貴倶治彦かなぁ(^^;;
もともとは邪馬台国の
地方官吏みたいな感じなんですが
もともとあまり仲の良くない部族だった様で
この時代 離反して狗奴国(九那国)となった様です

邪馬台国→耶麻台国 ・・・( ̄  ̄;) うーん

なんかしっくりこない 何か違うかなぁ
とは言え邪馬台国では無い事は確かです

国のあった場所については
狗奴国は間違いなく阿蘇山から南 
今の熊本県菊池が中心地です

実は私の恩師が菊池の人であり
私の始まりがここにあります
でもって私も ガッツリと狗奴国の人間

この時代 確かに
邪馬台国の滅亡に関与してたという事

阿蘇神社の神様と縁が深い訳ですヾ(@^▽^@)ノ

地震で社殿が倒壊しちゃいましたが
これも また狗奴国と邪馬台国の
過去の因縁が一因でしょうねぇ

邪馬台国の一番大きかった頃は
九州の北半分と山陽・瀬戸内海沿岸
と今の和歌山あたりの沿岸地域
ここまでで最大47部族(支族)を支配してたそうです

最後の卑弥呼の代で9つの支族が離反
これが後の狗奴国となります

その後 狗奴国との戦争となりますが
徐々に邪馬台国内部も亀裂が広がって
卑弥呼は ある夜 
警備を担当してた支族によって
闇討ちされる事となります

すかさず壹与という 
まだ幼い巫女を傀儡として擁しますが
広まった亀裂はどうしようもなく
狗奴国の侵攻で邪馬台国は
九州の地から追われることになります

その後瀬戸内海地域にて力を蓄えた後に
かつての国を取り戻すべく九州へと進軍します
これ以降の話は大和朝廷の因縁へと進みます

邪馬台国を九州から追い出した狗奴国ですが
喜びもつかの間

なんと本拠地である阿蘇山が大噴火
同時に発生した火砕流と大地震は
狗奴国の力をそぎ落とすには
十分すぎる程でした

この後 国の復興に明け暮れる事となり
その間に当代の英雄は死去

求心力を失った狗奴国は瓦解してしまいます
まさに天罰のような事態でした

栄枯盛衰は世の常とはいえ
悲しいですねぇ

ここまでで時間が無くなってしまいました
続きは また仕事から
帰ってきてからとなります 人( ̄ω ̄;) スマヌ

なかなか先に進めず申し訳ない

ではヾ(^_^)マタネー






この記事へのコメント

のの
2019年05月18日 21:53
訂正です。

 また同じ間違いをしてしまった。

日月神示 第23巻 海の巻 第九帖より
----------------------------------
…自分の力の中では

誤:九帖 正:三帖

酒飲んでもう寝ます!
のの
2019年05月18日 21:16
今の上に立つ人

日月神示 第23巻 海の巻 第九帖より
----------------------------------
…自分の力の中では誠であっても、広い世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、神のお示しが違ったと申して其の神様を悪く申すでないぞ、今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。
----------------------------------

 この文言の中の「今の上に立つ人」がどのお方をお示し致すのか?

 お分かりですよね。

 これ以上は、恐れ多くて申し上げられませぬ。

 お察し下さいまし。
のの
2019年05月18日 21:04
ニギハヤヒの封印と岩戸締めに纏わる歴史

 ののの歴史の興味は、ニギハヤヒの封印と五度の岩戸締めに関わる歴史のみに集中しています。

 ニギハヤヒの封印解除の御神事に関わるようになった2012年の夏ころから、日本の神様や神社、日本の歴史に関心を持つようになりました。

 関心を持たざるを得なくなったという方が正確かもしれません。

 理系で、高校時代も日本史は選択していませんでしたから、付け焼刃もいいところなのです。

 次元融合して時間ができたら、本当の歴史に関する情報をアカシックレコードにアクセスして調べてみたいと最近思うようになりました。
のの
2019年05月18日 20:50
岩戸締めの補足説明

1度目の岩戸締め
 伊邪那岐命、伊邪那美命が別れ別れになった時

 一番目の岩戸締めは、出雲の素戔嗚尊と日向のアマテラス(卑弥呼)が結婚し、子供が出来た時、アマテラスの母イザナミが、アマテラスとその娘と一緒に出雲に行ってしまった史実を、神話でおぞましく描いていることを指すのです。

 現在でも、この題材でおぞましい絵画作品を描いている画壇の重鎮さんがいたりするのです。出雲を貶めたい勢力の一員なのでしょう。

3度目の岩戸締め
 素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時

 ここでいう「ネの国」は、出雲を指します。全国を統一した国祖とでも呼ぶべき国家統一の英雄を、罪深き人物として神話で貶め矮小化して描いているのが日本書紀なのです。

参考:消された覇王―伝承が語るスサノオとニギハヤヒ (伝承が語る古代史 1)
小椋 一葉 著

参考:黄泉比良坂
http://www.dokuritsuten.com/member/1k2_kinutani/84.html
のの
2019年05月18日 20:33
「仏魔」は藤原氏

 藤原鎌足の残虐な悪魔の如き手法がそのまま伝統的な藤原氏の政治手法となったのです。

 藤原氏は、テロによる皇統の簒奪を行ったのです。

 藤原氏の残虐な統治の仕方が、日本の国に蓄積される怨嗟の元となっているのです。

 これが、日月神示の五度の岩と締めの正体なのです。

 延々と書いてきたのは、五度の岩戸締めのからくりを説明するためでした。

 この問題を解決しなければ、晴れて次元融合を迎えることができないということなのでしょう。

 地上の人にはなすすべの無い問題かと思われます。

 神界の方で落とし前を付けていただくしかないのでしょうね。

 菊理媛さまの出番?

参考:残虐非道な藤原氏の政治手法
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index6.html
のの
2019年05月18日 20:21
ネット情報の嘘と本当

 先に挙げた参考資料は、藤原氏を擁護する立場から書かれています。

 落合 莞爾氏の著作同様に、情報がやけに詳しいのは、情報ソースが同じだからだと考えられます。

 新羅系の王朝を、新羅占領政府と呼び、百済系の王朝を百済王家と呼んでいるところから、その立ち位置がわかります。

 先に引用した箇所は、中臣氏の偉大さを描くため、うっかりと本当のことを書いてしまっている箇所かと思われます。

 また、藤原不比等を新羅系と偽っているのは、そこになんからの情報操作の意図が感じられます。
さや
2019年05月18日 20:07
>狗奴国は中臣の王国
「狗奴国」と中臣氏、よく調べられてますね。

ということは…
日月神示の仏教とともに渡ってきた「仏魔」とは、時代を考えると、中臣(藤原)鎌足の魂のことでしょうかね?

頭、パンク中なので、考えることができてません。
(><)
かつ@美濃のトルネコ
2019年05月18日 19:45
佐野様 縁者のみなさま

こんばんわ
50コメント目ゲットw

ののさんとさやさんで、ほとんどスレ埋まっとるね。
すげーネタの量に感心してしまった。
大和、奈良時代の歴史の復習ができました。(わっちは、安土・桃山しか興味がないっす。)

そんでもって、わっちは深夜2時に起床して、伏見稲荷の月参り、おちょぼ稲荷、伊奈波神社とハシゴをしてました。
時期は、5月なんだけど、秋っぽい気候を感じております。
眠たいので、夜のお勤めをして寝よ。あしたは仕事やし
のの
2019年05月18日 19:35
狗奴国は中臣の王国
 狗奴国と、藤原氏(中臣氏)についての詳しい情報がありました。
-------------------------------------
…この列島に残された中臣の王国が、魏志倭人伝では、邪馬臺国と常に対立し合う「狗奴国」として登場することになるのです。
 この「狗奴国」は、列島内では邪馬臺国に圧迫されているとは言え、中東やインド、東南アジア、江南、琉球などの所謂海のシルクロードを管理する大きな海人勢力の極東での拠点管轄者の王国に当たる訳ですから、列島内でどんなに邪馬臺国に圧迫されようと、その活力そのものを失うことはなかったのです。…
-------------------------------------
参考:「狗奴国」と中臣氏
https://blog.goo.ne.jp/sophia_h/e/20e0800359836d63b131c7899be6f875
さや
2019年05月18日 14:19
あっ、百済からは…
海から太平洋か瀬戸内海を通って、淀川を上って、直接、畿内入りできますね。
百済系の人が住んだと言われる十三、枚方は、淀川の近くなので、藤原氏が来たのは、こっちの可能性が高いかな。
藤原氏も来やすかったわけです。
のの
2019年05月18日 13:58
秦氏と藤原氏

 日本の歴史は藤原氏が作りました。

 つい最近まで日本の権力を握っていたのが藤原氏なのです。

 それゆえ、歴史の教科書はいまだに「日本書紀」史観をもとにして書かれているのです。

 日本に多くの影響を与えながら、同じ渡来人なのになぜか影が薄いのが秦氏です。

 藤原氏の作った歴史ですから、対抗勢力であった秦氏は影が薄いのです。

 乙巳の変は、秦氏(蘇我入鹿:新羅系)と藤原氏(中臣鎌足:百済系)の最初の戦いでした。

 壬申の乱は、百済系日本人と新羅系日本人の多くの豪族を巻き込んだ戦いとなりました。

 その後、この2つの勢力による対立構造は今に至るまで長く続いているのです。

 秦氏と藤原氏の関係をうまくまとめたブログ記事がありましたので、紹介しておきます。

参考:秦氏と藤原氏
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index6.html 
さや
2019年05月18日 13:38
>縄文海人族系の皇統が南朝となり、中臣系(藤原系)の皇族が北朝となったのです。

藤原氏が百済系。

そういえば、畿内で現地の人から
「漢字と読み方が違う地名は、百済系(百済の人たちが住んだ所)よ。」

とききます。

畿内に多く、百済からの人が来ててもおかしくありません。海から、九州を通らずとも、直接、畿内入りも可能です。京都府舞鶴辺りからとか。

畿内の地名
例えば、
十三
放出
枚方

読み方
じゅうそう
はなてん
ひらかた

百済寺跡もあります。
https://www.city.hirakata.osaka.jp/0000000767.html
のの
2019年05月18日 13:09
天武天皇と陰陽道

 陰陽道は、推古天皇と聖徳太子の頃に百済僧によって日本にもたらされました。

 聖徳太子を補佐していたのが秦氏でした。

  この頃から、陰陽道思想が天皇中心の政治体制の理論に用いられ始めたのです。

 最初に陰陽道に精通した天皇が天武天皇でした。天武天皇は陰陽師だといってもいいほど陰陽道に精通していたのです。

 壬申の乱の戦のさなか、大海人皇子(天武天皇)は、陰陽道の占いにより勝利を予言したと伝えられています。

 壬申の乱は、百済系日本人と新羅系日本人との大きな戦いでした。

 背後にいたのが藤原氏(百済系)と秦氏(新羅系)でした。

参考:
天武天皇は陰陽師であった(?)https://www.last-onmyoji.jp/onmyoji/blog/theme01/450/

天武天皇と陰陽道
http://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/tenmu.htm
さや
2019年05月18日 11:03
筑紫君磐井

日本書紀継体天皇21年(527)の記事によると、大和朝廷は、新羅から奪われた任那の地を奪還するため、近江毛野臣に6万の兵を率いて渡海させることになったが、新羅はひそかに筑紫君磐井に賄路を送って毛野臣の軍の渡海を妨げることを勧めた。そこで、磐井は肥・豊(肥前・肥後と豊前・豊後)の二国をもあわせた勢力をもって、朝鮮半島からの貢船を略奪し、朝延にたち向ったので朝廷は国家の大事として物部大連麁鹿火を遣わして討伐させたという。同22年11月、御井郡(現在の福岡県久留米市・三井郡)で激戦が行なわれ、磐井は敗れて斬られた。同12月に磐井の子の葛子は、糟屋の地(現在、同県粕屋郡)を屯倉として献上して父の罪に連座することを免れたという。「筑紫国風土記」逸文には、磐井は豊前国上膳県(現在、豊前市付近)に逃亡したという別伝と、生前に彼が築造した自分の墓と、そこに飾られた石人、石馬などのことが記されている。

http://www.snk.or.jp/cda/tanbou/yame/iwatoyama.htm

岩戸山古墳・・へびっちさんによれば、祭祀場。
八女市に資料館があるよ。
見に来てね♪
さや
2019年05月18日 10:59
頭パンク中

筑紫国造

筑紫国造が成立したのは6世紀の後半ともみられているが、5世紀後半にはすでに肥・豊(肥前・肥後・豊前・豊後)にまたがる一大勢力圏をつくっていたとみられる。磐井の乱の後も国造の存続を許され、白村江の戦ののち唐に抑留されて天智10年(671)帰国した。

筑紫君薩野馬はその後裔とみられる。同族に筑紫鞍橋君・筑紫火君・筑紫火中君がみえる。八女丘陵上には、現在11基の前方後円墳を含む約150~300基の古墳が発見され、その年代も5世紀中頃から6世紀後半までおよんでいる。磐井の乱以後も連続して大形墳墓が造営されており、筑紫君一族が滅びることなく存続したことを物語っている。

http://www.snk.or.jp/cda/tanbou/yame/iwatoyama.htm
さや
2019年05月18日 10:10
天武天皇、復習です。

2018.5.1テーマより
>四国は陰陽師の本拠地で
天武天皇によって陰陽寮が設置され、
陰陽師という官職が出来て
それ以降 四国が彼らの修行の地であり
本拠地となりました
この頃はまだ結界はありませんが
彼らは表の顔は陰陽師
裏の顔は禁呪を操る呪術師だったんです

頭、パンクしそう(><)
・・パン プシュー
さや
2019年05月18日 10:06
663年 白村江の戦い
 ~大伴部博麻の視点から2

 「長安」に連行された博麻らは、捕虜とはいえ拘束されること無く自由に長安を往来できたようだ。

 こうした生活の中で博麻らは「唐」が「倭国を攻める計画」を知る。なんとしてもこの事をヤマトに知らせなければと「博麻」は、自分を「奴隷」に売り、他の四人を日本に帰す事を「土師野富咩」らに相談。緊急事態を知らせることを決意する。

 「博麻」の作った資金をもとに四人は衣服、食料、旅費を準備、ヤマトへ向かう。

 天智10年(671)ごろ四人は対馬に着く。このことは直ちに「筑紫國大宰府政庁」に伝えられる。

 奴隷として長安に留まった「博麻」はそれから凡そ20数年、知り合いの「唐人(外交官とも)」から倭国(ヤマト)に行くが一緒に帰るかと声をかけられる。

 日本書紀によれば、持統4年(690)十月乙丑(二十二日)「博麻」30年経て日本に帰ってくる。

八女市上陽町北川内寄口の公園の頂上に碑
久留米城址(篠山城)の大伴部博麻之碑
 
参考
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/hakama/hakama.html
さや
2019年05月18日 10:04
663年 白村江の戦い
 ~大伴部博麻の視点から1

 日本書紀で、突然、天武天皇が現れ、強大な力を発揮したことは、倭王:筑紫君薩夜麻=天武天皇とすると、年代的にもつじつまが合います。
671年、倭王が唐から帰国。8年ほど唐で捕虜となっていたことになります。

 日本軍の中に、筑紫國上陽咩郡(つくしのくにかみつやめごうり)出身の兵士「大伴部博麻」と云う兵士がいた。「部」は古代の部民制であるので、「博麻」は豪族「大伴氏」に属する何らかの職業集団の一員であったのであろう。

 「博麻」は「人軍丁(一軍丁)・ひといくさよぼろ(日本書紀:詔軍丁)」として「百済へ出征した。
      
663年8月 気象、地形に不案内の日本軍は、主力唐「水軍」の前に一昼夜にして軍船の大半炎上壊滅する。白村江は日本軍の血で赤く染まったという。

(翌年、天智3年・664年水城が築かれる。日本書紀:筑紫、築大堤貯水名曰水城)

 「博麻」は捕虜となり「長安(西安)に連行される。長安には既に4人の捕虜がいた。遣唐使として唐入りしていたヤマトの役人達であった。四人は「土師野富杼(はじのむらじほど)」「氷連老(ひのむらじおゆ)」「筑紫君薩夜麻(つくしのきみさつやま)」「弓削連元宝(ゆげむらじげんほう)」である。  
 白村江で日本が負けたことにより捕虜となっていたとい云う。
さや
2019年05月18日 09:24
最後の日御子(卑弥呼)逝去、邪馬台国中枢が抜けた後、九州の王朝(国造)は西暦700年頃迄、存在した3

678年 (九州北部)筑紫国大地震

695年 (九州北部)筑紫国が筑前・筑後に分割され、筑後国府が設置される

700年迄 九州王朝の年号を使用?

701年 大和朝廷の年号開始

712年 太安萬侶が「古事記」を完成させる

719年 (九州北部)八女津媛神社創建

720年 日本書紀勅集

720年 日本書紀編纂

参考
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-161/
http://www.chimei.sakura.ne.jp/f-30kyusyuouchyou.htm久留米地名研究会
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12247219376.html
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/hakama/hakama.html
https://blog.goo.ne.jp/chutaro1503/e/53a8205bf3f5306cc7d2028277dceafc
http://tadatakitada.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
http://jhistory.intres1.net/as-8E9D939D93V8Dc82C693A18CB48B9E91J93s.html
さや
2019年05月18日 09:21
最後の日御子(卑弥呼)逝去、邪馬台国中枢が抜けた後、九州の王朝(国造)は西暦700年頃迄、存在した2

532年 (朝鮮半島)伽耶の王国は、新羅に降伏。その王族が、欽明天皇。

539年 (畿内)欽明天皇即位。蘇我氏の実質支配。

631年 (九州北部)倭国(九州の王朝(筑紫王朝?))が唐の太宗に朝貢する。※倭国は昔の奴国と記述あり。

645年 乙巳の変(大化の改新)

648年 (九州北部)倭国(九州の王朝(筑紫王朝?))が新羅(朝鮮王朝)に遣使。

650年頃 中国の書に「日本国」がはじめて登場。「日本は昔、小国だったが倭国を併合し、日本と改名した」とある。

650年 難波宮(大阪)の前期は九州の王朝(筑紫王朝)がつくったという一説あり。

663年 (天智2年)白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)

671年 倭王(筑紫君薩夜麻)が唐から帰国

672年 (畿内)天智天皇が近江宮で崩御

672年 (天武元年)西暦7月24日~壬申の乱が起こる

673年 (畿内)大海人皇子が飛鳥浄御原宮で即位し天武天皇(=筑紫君薩夜麻=倭王と推定:さや説)となる

天智天皇様
淡海宮を名付けておられましたね。
672年頃の年表をみていると、
「殺されませんでしたか?」
とききたいです。
思い過ごしだといいのですが。
さや
2019年05月18日 09:10
最後の日御子(卑弥呼)逝去、邪馬台国中枢が抜けた後、九州の王朝(国造)は西暦700年頃迄、存在した1

240年±10年頃 (九州北部)大宰府政庁造営か(最も古い跡から測定)

247年(推定)魏志倭人伝上の卑弥呼逝去。

283年 応神14 年(283年)百済を経て弓月君(融通王)が日本に帰化(弓月国は、秦氏の国と言われる。

351年 (九州北部)邪馬台国中枢が追われた後、九州の王朝(筑紫王朝?)が中国に朝貢する。

507年 (畿内)継体天皇即位「日本史年表」(岩波書店)

527年(九州北部)筑紫国造磐井、大和朝廷側の近江毛野臣(波多氏の支族)の任那(秦氏の国)救援軍を阻止。(高良大社HP)(大和朝廷側から見れば、「磐井の乱」

531年 日本の天皇及び太子・皇子、供に崩薨(百済本記)→九州の王朝(筑紫王朝?)の筑紫国造磐井一族ことでは?

日本書紀の嘘(さや説):日本書紀では継体天皇没としている。「後の世の人が明らかにするだろう」と記。
さや
2019年05月18日 08:06
「ヤマト」は、神の民の意2

古代イスラエルの人々は離散したあとキルギスの北部のエニセイ川源流あたり(現在のカザフスタン北部)に弓月国を立てました。
そこにはヤマトゥという町があり鋳造や織物などの盛んな工業国だったそうです。
「資治通鑑」によると「弓月国」は「三カ月国」ともよばれており、「弓月国」は3世紀
から6世紀ごろに栄えた「キリスト教国」だったのである。
http://www.guoxue.com/shibu/zztj/content/zztj_199.htm
…絹の貿易を独占していたのである。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/hidecross.html

秦氏の研究を続けた佐伯好郎博士は、…三日月王国の…都が新彊ウイグル自治区北西部の伊寧(いねい)だったと推定した。
引用http://ikuno.lolipop.jp/piramido/pa-hyogo/hy03-01.htm

■キルギスの伝説
「キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」
キルギス大使館http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/16/etc_0422.html

■キルギス語
キルギス語はアルタイ語属のテュルク諸語に属する。
日本語と同じく、目的語や述語に助詞や活用語尾が付着する膠着語で、母音調和を行うことを特徴とする。文の語順も日本語と同じ主語-目的語-述語になる。http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/i2/dg.gif キルギス語Wikipediaより

https://blogs.yahoo.co.jp/glowforestmoon/41855071.html
さや
2019年05月18日 07:55
「ヤマト」は、神の民の意1

283年 応神14 年(283年)百済から弓月君(融通王)が日本に帰化(弓月国は、秦氏の国と言われる。弓月国にはナラ、ヤマトがあった。那拉提(ナラティ)伊犁(イリ)草原の別名は那拉提(ナラティ)草原で、新疆ウイグル自治区の新源県東部に位置し、すなわち新源県那拉提鎮にある。「那拉提」はモンゴル語で「最も早く太陽が見えるところ」という意味である。雅馬図(ヤマト)雅馬図は左手の伊犂祥和弓月城から五十キロ程度、東にある。
川のすぐ南に野馬渡と雅馬図(ヤマト)があった。野馬渡もヤマトと読めそうだが野馬を川渡しする意味であろう。ヤマトをヘブライ語で解釈すると神の民。
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-11964972396.html

のの
2019年05月18日 01:34
最後の訂正

誤:縄文系の海人族以外の血筋の者以外が皇后となることを云っているようです。

正:縄文系の海人族以外の血筋の者が皇后となることを云っているようです。

もうおしまい。
のの
2019年05月18日 01:31
たびたびの訂正

日月神示 第23巻 海の巻 第九帖より
----------------------------------
…自分の力の中では

誤:九帖 正:三帖

もう酒飲んで寝ます!
のの
2019年05月18日 01:23
世の乱れ神界のいろからであるぞ

 最後に、日月神示の言葉で締めくくります。

日月神示 第23巻 海の巻 第九帖より
----------------------------------
…今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ。

 神せけるなれど人民中々云ふこと聞かんから物事おそくなるばかり、おそくなれば益々苦しむばかりぞ。

 色はにほへど散るものぞ、世の乱れ神界のいろからであるぞ、気つけておくぞ。

 日の本(もと)の国を取らうとしても何とだましても、御先祖様には何も彼も世の元からの仕組してこの事判ってゐるのであるから、悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ。
----------------------------------

日月神示 第23巻 海の巻 第九帖より
----------------------------------
…自分の力の中では誠であっても、広い世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、神のお示しが違ったと申して其の神様を悪く申すでないぞ、今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。
----------------------------------

 皇后さまは、縄文系の海人族でなければならないようです。これについては、落合寛治氏も語っています。

 「世の乱れ神界のいろからであるぞ」の意味は、縄文系の海人族以外の血筋の者以外が皇后となることを云っているようです。
のの
2019年05月18日 00:57
またまた訂正

歴書-->歴史書

もう寝ます。おやすみなさいませ。
のの
2019年05月18日 00:55
一部訂正です。

誤:「古事記」は天武系の歴史書であり、「天智系」の歴書なのです。

正:「古事記」は天武系の歴史書であり、「日本書紀」は天智系の歴書なのです。

 くっ、図らずも11連投となってしまった。
orz
のの
2019年05月18日 00:49
「白妙の」に込められた暗号

 「日本=百済」説 金容雲 著に次の記述がありました。

 出雲は、新羅系
 邪馬台国は、加耶系
 狗奴国は、百済系

 百人一首の持統天皇の歌
第2首「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」

 この歌の「白妙の」がよく分からなかったのですが、新羅と出雲の関係から次のように読み解くことができるのです。

白妙の…新羅系の蘇我氏は絶えた。

 「衣ほすてふ」の意味は「天武系の血を引く皇族の死装束を干す」の意味であり、皇統を狙う持統天皇の秘められた野望がこの歌から見え隠れするのです。

 「天の香具山」は、「正当な皇統である天武系(皇后が縄文海人族)を歴史から隠す」の意味であり、この意図は「日本書紀」で達成されました。

 「古事記」は天武系の歴史書であり、「天智系」の歴書なのです。

注:古代韓半島の新羅・百済・加耶は、回帰系の日本人が作った王朝であり、現在の韓半島の民族とは異なる様です。

参考:「日本=百済」説 金容雲 著
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/kudara.htm

 気がついたら10連投してしまいました。今回はここまでとします。
のの
2019年05月17日 20:20
古代朝鮮の王朝と現在

 古代朝鮮半島の百済と新羅、任那の王朝は日本人が作ったという説があります。

 朝鮮半島の正史「三国史記」と日本側の文献から導き出された切です。

 また、遺伝子の違いから、当時半島にいた日本人は後の多民族の侵略により根絶やしにされてしまったというのです。

参考:古代朝鮮の新羅、百済は日本が作った!
https://blog.goo.ne.jp/ici05876/c/95f0d2c44d98976feb0470db107c7052
のの
2019年05月17日 19:52
「日本書紀」偽書説

 出雲王朝から大和王朝への相続は、末子相続であり、女系を中心に王朝の継承がなされています。

 10代崇神天皇と15代応神天皇の時代に皇統は変わっているのですが、いずれも回帰系騎馬民族と縄文海人族系の女系皇族との間に子を設けて継承しているのです。

 落合寛治氏は、皇統は縄文海人族系の女系皇族による継承であるとの見解を示しています。

 しかし、縄文海人族系系の女系に取って変わったのが、藤原氏なのです。

 その後、縄文海人族系の皇統が南朝となり、中臣系(藤原系)の皇族が北朝となったのです。

 南北朝の確執は、平家(海人系)と源氏(中臣系)の戦いへと続くのです。

 「乙巳の変」、「白村江の戦い」、「壬申の乱」という古代日本の重大事件を、各豪族の背景、関係を中心に描き、国史「日本書紀」の信憑性に疑問を投げかける大変よくまとめられたブログがありました。

 ご参考に。
 
参考:
藤原氏によって改竄された日本書紀
https://blog.goo.ne.jp/ici05876/e/fdd97045c17278e3fd52aca843fd0508
のの
2019年05月17日 18:44
狗奴国:回帰系の日本人

 どうやら狗奴国の人々も、半島を経由して日本にたどり着いた回帰系の日本人であったらしいのです。

 回帰系の日本人とは、その昔日本を旅立って、また戻ってきた人たちのことです。

 ある人々は、大陸で経験を積んで騎馬民族となり戻ってきました。出雲の素戔嗚尊、崇神天皇、応神天皇、継体天皇など。

 崇神天皇や応神天皇、継体天皇が回帰系の日本人であることは、落合 莞爾氏がその著作の中で語っています。

 邪馬台国の人々も、狗奴国、出雲の人々も結局は皆回帰系の日本人だったのですね。

 参考:活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 ():

 落合氏の著作はむつかしくて読みにくいです。先ずはDVDから入るとよいかもです。

 ただし、落合氏はその立場上、出雲王朝の存在は否定しています。
のの
2019年05月17日 18:38
狗奴国と藤原氏の出自

  狗奴国と藤原氏について調べているうちに、次の記述が見つかりました。

狗奴国は、紀元前一世紀には百済の分国であった。
 藤原不比等は加耶系(金首露王)を主としている。
加耶も百済も北方系(スキタイ人)の王家出身であり、列島と半島の出自は同じである。
 百済の中で、百残の百済は応神天皇へ、利残の百済は継体天皇へと繋がっていく。
参考 :「日本=百済説」 金容雲 著

 中臣(藤原)鎌足は、百済王子豊璋である。
参考:藤原氏の正体 関 裕二 著
のの
2019年05月17日 12:57
仏教の伝来と仏魔 2

 五度の岩戸締めの1番目から4番目までを歴史の改竄により行い、神話として記紀の中に描き出したのが、藤原不比等さんとそのお仲間さんたちです。

 藤原氏が百済から渡来し、朝堂の支配者となって、乱れほうだいやりほうだい致したのが五度の岩戸締めなのです。

 地(つち)の岩戸開きは、地上に生きる人の役割です。この岩戸開きは、改竄され隠された歴史の真実を明らかにすることによってなされるのです。

 岩戸開きの立役者となるのは、岩戸締めを行った藤原氏に繋がる人々と、そのご先祖様である神界の神霊さまたちのお役目でなのではないでしょうか?

 つまり日向の義弟さんたちのお役目ということになるのです。

 ニライカナイの宴会で酒を飲んで浮かれているばやいではないのではなかろうか?

 次元融合まで残された時間はわずかです。その前に幾ばくかの行動を起こされたほうが良いのではなかろうか?

 人ごとながら心配です。

参考:解かれたニギハヤヒの封印 18
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=64179268
のの
2019年05月17日 12:52
仏教の伝来と仏魔 1

 ののの仮説です。

 正史では、仏教を最初に導入したのは蘇我氏だということになっています。しかし、蘇我氏が導入したのはミトラ教であったのです。

 ミトラ教の神ミスラは、マイトレーヤでありみろく菩薩の意味であったのです。

 実際に仏教を本格的に導入したのは、中臣鎌足(藤原鎌足)であったのです。

 藤原氏は、蘇我氏を倒してから蘇我氏の代わりに仏教の保護者になっていったのです。

 さて、五度の岩戸締めの5番目は
 「仏教と共に仏魔がわたり来た時」
 なのですが、

 この仏魔とはいったい何を指すのでしょうか?

…仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
(日月神示 五十黙示録 第02巻 碧玉の巻 第十帖 より)

 もうお分かりですよね。

参考:聖徳太子と斑鳩京の謎―ミトラ教とシリウス信仰の都 久慈 力 著
のの
2019年05月17日 11:23
藤原氏と怨霊

>怨嗟の念 瘴気や邪気とは
また違った性質ですね
霊界物質も奥が深いです(笑

大化の改新
 律令制度の導入に邁進していた蘇我氏を悪約に仕立てあげ、その行政改革の手柄までちゃっかりとくすねてしまった藤原氏は、後に祟り神となった蘇我入鹿に悩まされることとなります。

延喜の改革
 十世紀、平安時代に行われた大化の改新に匹敵するほどの大改革を遂行したのは、正史では藤原時平ということになっているのですが、ここでも藤原氏はちゃっかりと人の手柄を横取りしているのです。

 明晰な頭脳と決断力を持って、改革事業を推し進めていたのが、藤原氏の陰謀によって朝堂を追われて憤死した、とある政治家だったのです。

 のちに彼は、大怨霊となります。

 人の手柄をちゃっかりと横取りする藤原氏。こうした行為が怨嗟の念を生み出すのでしょう。

 人の手柄をちゃっかりと横取りする行為は、あらゆる起源を我がものと主張し、歴史の改竄を行う、どこかの悲しい国のやり方に似ていませんか?

参考:
 古代史謎解き紀行 Ⅰ
 封印されたヤマト編 関裕二著
のの
2019年05月17日 11:22
藤原氏は狗奴国の末裔?

>求心力を失った狗奴国は瓦解してしまいます

 ののの推論です。正史にはありません。

 久那国の一部の部族は海を渡り百済に居を構えます。ここで、力を蓄え復権の時を待ちます。

 彼らは、当時の蘇我氏に変わり天智天皇を神輿として祭り上げ、大和朝廷に取り入ります。

 百済が高句麗の侵攻に脅かされるようになると、天智天皇に挙兵させます。これが白村江の戦い。

 百済には、日本語に堪能な文官がおりました。その一人が王仁(わに)さんです。

 百人一首のカルタ取りで最初に読み上げられく歌、「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」を詠まれた方です。

 57577で和歌を作るのは、外国人には大変むつかしい事なのです。

 ですから、王仁(わに)さんを始めとする日本人がたくさん百済にいたであろうということが推測されるのです。

 では、この日本人たちはどこから来たのか?と考えると、久那国の存在が浮かび上がってくるのです。

 朝堂を支配する藤原氏は、各部族に分散されていた権力を一手に集めます。

 同時に、都合よく歴史を書き換えてしまったのです。

 その後の栄枯盛衰の物語は、百人一首の中に和歌として描かれているのです。

 百人一首の表の意味は叙情詩なのですが、裏の意味を読み解くと叙事詩が浮かび上がってくるのです。
のの
2019年05月17日 11:21
日本武尊の熊襲討伐

>大和政権の根本は邪馬台国です
ただしこちらは畿内の人間が中心
隷属してた歴史を抹殺する為
彼らは九州に侵攻します
邪馬台国復活の為でなく
その痕跡を全て無くす為の侵攻
神話は邪馬台国を消す為の話

 ののの推論です。正史にはありません。

 神武天皇から9代目開化天皇までの御代が、邪馬台国(日向)出身の天皇。

 そして次代には、新たに回帰系の騎馬民族主出身の崇神天皇を迎え入れます。

 初代から9代までは、皇統に繋がる日向族が優勢を誇っており、機内の諸部族(物部氏や尾張氏)は虐げられていたのでしょう。

 12代景行天皇の時代、伝説的な英雄日本武尊(国常立尊)が登場します。

 日本武尊は、命じられて熊襲征討・東国征討を行いました。

 九州に残る邪馬台国の末裔と、東国に逃れた出雲の末裔の討伐を行ったのです。

 崇神天皇から続く皇統は、15代応神天皇の代に別の皇統に変わります。

 後に、物部氏は蘇我氏(出雲系)に敗れ、蘇我氏は藤原氏(狗奴国の末裔?)に敗れます。

 藤原氏の世になると、出雲と邪馬台国の存在が邪魔になります。

 歴史の改ざんにより彼らの存在を消し去ります。こうして造られたのが、記紀神話なのです。
さや
2019年05月17日 10:12
>さやさんは
邪馬台国初期と
大和朝廷の始まりの関り
前世については
こちらから関与は禁止で
本人が自ら前世と出会ってから
関与可能となります
時期が来ると必ず 皆さま
自己の前世が現れます(^^)

私が、八女と近畿にいるのも、意味がありそうですね。
夢を忘れやすいタイプです。時期が来て、見せていただいた前世を忘れないようにしなければ。唯一の心配事。
管理人です♪
2019年05月17日 08:59
縁者 読者の皆様 
おはようございます(^^)

ののさん さやさん
謎解きのお役 ご苦労様です

( ^o)_旦~~オチャドウゾー

邪馬台国と狗奴国
書き始めたらやはりというか
あちらの世界のお客様が多数
だんだんカオスになって来て
ちょいと容量オーバーです(^^;;

怨嗟の念とは一度溜まると
消えないものなのだと
改めて実感してます
巨大な負の海を形成してて
こりゃ人の力でどうにかなる
そんな甘い代物では無かったです

怨嗟の念 瘴気や邪気とは
また違った性質ですね
霊界物質も奥が深いです(笑

これが日本の国の霊界の
根底に広大に広がってます
実はこの関係は大和政権(朝廷)も
関与してきてるんです
大和政権の根本は邪馬台国です
ただしこちらは畿内の人間が中心
隷属してた歴史を抹殺する為
彼らは九州に侵攻します
邪馬台国復活の為でなく
その痕跡を全て無くす為の侵攻
神話は邪馬台国を消す為の話

やっと日本の歴史の浄化
これが始まったばかりです

縁者の皆さまもまた
この時代 どこかで
関りをもって居る様です

さやさんは
邪馬台国初期と
大和朝廷の始まりの関り
前世については
こちらから関与は禁止で
本人が自ら前世と出会ってから
関与可能となります
時期が来ると必ず 皆さま
自己の前世が現れます(^^)
やま
2019年05月17日 08:58
卑弥呼という名は歌舞伎役者のように世襲制だったんですね。

親子姉妹、似た才能があったとしても各々別の人格があるわけだし、そんなに長いお付き合いの中には色んなしがらみもあったり、甘言や誘惑も多かったのでしょうね。

私はいくら友達であっても、お金の貸し借りはしたくないし、お金や物で人の気を引こうとする人がいると距離をおきたくなります。
でも、立場上断る事が出来なくて1度受け取ってしまい、次から次へと受け取るうちに段々と麻痺してしまい『欲』に変わってしまったのかなー。私も気を引き締めようと思いました。

ベルドラ様の魅力、最高ですd(^-^)
精霊さんの優しさを沢山受け取りすぎて、新しい山が出現!なんてニュースにならない事を祈っております。
のの
2019年05月17日 02:06
素盞嗚大神さまとベルドラさま

 スサノオノミコトさまとベルドラさまの関係を調べていたのですが、大本に次のような記述がありました。

素盞嗚大神の四魂

月照彦神:和魂(にぎみたま)
  印度でお釈迦様として生まれた

ベルドラさま:幸魂(さちみたま)
  ユダヤの地にイエス・キリストとして生まれた

大足彦命:荒魂(あらみたま)
  印度で達磨として生まれた

神国別命:奇魂(くしみたま)
  中国に孔子として生まれた

参考:
霊界物語 第2巻 第1篇 神界の混乱
http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=108
のの
2019年05月17日 02:06
リアドラワッペン

 アイロンで、衣服に貼り付けることのできるワッペンもほしいところです。

 Tシャツや帽子に貼り付けることができます。

 ののの移動手段も自転車です。ロードバイクに乗っているので、半径50kmのエリアなら楽勝です。
さや
2019年05月16日 22:57
リアドラグッズ

うちにも車はないです。要るときだけ借りてます。リアドラ用リュックに付けるバッジ(軽いもの)が選択肢にあると嬉しいです。
のの
2019年05月16日 15:19
盆栽ドラゴン

>草に覆われた何か?になってたヾ(>▽<)o

 似た感じの動物型盆栽がありました。

参考:
動物の器が可愛い和テイスト盆栽
https://grimo-with.com/modernbonsai/
さや
2019年05月16日 15:15
あっ、魂だけ神靈界に呼んだらいいので、最後の日御子(巫女)をやった女性が今世でまだ生きてても、おかしくないのかな?

この場合、今世では転生で忘れちゃってるので、反省しずらいかな。

今世で生きてるなら、反省できるように、当時の状況を夢で見させていただくか、魂を神靈界に呼んでいただくことを祈ります。
のの
2019年05月16日 14:51
万葉集の暗号

 百人一首が日向の義弟達サイドにより、編纂された叙事詩であります。

 そして、逆の立ち位置からの視点から編纂されたのが、万葉集ということになります。

 ここには、正史に記載することのできない裏の歴史が隠されているのです。

 万葉集の暗号を解読した解説書に、小林惠子氏の『本当は怖ろしい万葉集』3部作があります。

 『万葉集』編纂の意図は、天智系・天武系の対立を乗り越えて、国の独立と安全を守ること、民に日本の国民という自覚を促すことにあったと作者は見ています。

 ここでいう、天智系と天武系は、日向の義弟達[渡来系民族]と出雲系の諸部族[回帰系部族]と捉えて良いかと思います。

参考:
本当は怖ろしい万葉集―歌が告発する血塗られた古代史 小林 惠子 著

本当は怖ろしい万葉集 壬申の乱編 小林 惠子 著

本当は怖ろしい万葉集 完結編 大伴家持の暗号―編纂者が告発する大和朝廷の真相 小林 惠子 著

ブログ「 国家の支配構造と私権原理」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=273317
さや
2019年05月16日 13:21
2018.3.9テーマより
>最後の卑弥呼をやった女性が
今世で修行してますが
やはり その時代のカルマが重くて
結構可哀想です
前世を教えちゃうと
更に可哀想になるから
前世は知らぬが良いと思います

とありましたが、今世では、ご逝去されたのでしょうか?

最後の日御子(巫女)が私だった場合に備えて、反省文を考えてました。
わりと前倒しで仕事をする方です(^^;)

~私の反省文、考え中の内容~
・反省の機会をいただけたことに感謝。

・もし、私が貢物でご神託を変えるとしたら、考えられることは?
1.単に贅沢がしたいからでは、動かない。贅沢を必要としてない。
2.近隣国が、より巨大な祭祀場を作るなどしたら、うちも巨大な祭祀場を作らなければと、焦るかもしれない。財力を必要として、貢物でご神託を書きかえるという、最もやってはいけない誤った判断をしたのかもしれない。
※この焦りが、弱点となる。

最後の日御子(巫女)様、内観してみておくんなまし。

>後年 欲望に支配されるようになり
政事を貢物の量にて判断するに至り
あからさまなご神託の改変

なぜ、後年このようになったのか?
自分の弱点は、何だったのか?
弱点を身に刻むことは、同じ失敗を繰り返さないようになっていくこと。成長すること。
どん底迄、落ちたら、後は、上がるしかありません。私も経験してます(^^;)

身内と思い、温かく、見守らさせていただきます。
m(_)m

日御子(巫女)様が、反省して軽くなられた姿を見たいです♪
のの
2019年05月16日 12:54
百人一首の暗号 3

第2首「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇)

 持統天皇は、天智天皇の娘。
 大海人皇子(後の天武天皇)の妻。

春過ぎて:天智系の世が終わり。
夏来るらし:天武系の世となるらしい。
白妙の:斯廬(しろ:新羅の古名)絶えの
衣ほすてふ:弘文天皇(天智天皇の息子)の死装束
天の香具山:皇統を隠す

 この歌も、真っ白な衣を干すをするのどかな洗濯の歌ではないようです。

 改竄された歴史も、このように和歌の中に隠されて伝えられているのかもしれません。

参考:
持統天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B5%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87

弘文天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87

持統天皇の「春過ぎて・・・」について
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286643212
のの
2019年05月16日 12:53
百人一首の暗号 2

 天智天皇の歌から始まる百人一首。

第1首「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇)

 一大叙事詩の始まりが、牧歌的な農耕の歌であるはずもないのです。

 ヒントは、秋の田にあります。

 律令制度を制定し安定した国家の構築を目指していた蘇我氏ですが、その完成を見ることなく、権力抗争に敗れます。

 「秋の田」とは、蘇我氏が丹精込めて作り上げた律令制度を表しているのです。

 しかしまだ完成には至っていなかったがために、その様子を「かりほの庵」としてあらわしているのです。

 蘇我氏の権力基盤の危うさを「とまをあらみ」で表しているのです。

 それゆえ、のちの藤原氏に神輿として担ぎ上げられていた中大兄皇子(天智天皇)は、その衣を(血で)濡らすこととなったのです(乙巳の変)。

決して、帝がみすぼらしい庵でわらじを編む、牧歌的な農耕歌なんかではないのです。

参考:天智天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87
のの
2019年05月16日 12:52
百人一首の暗号 1

 百人一首を始めとする日本の古文献には、表の意味と裏の意味があります。

 それぞれの単語に暗号が隠されているのです。当時の知識人たちはこれを踏まえてで和歌を作っていたのです。

 百人一首が一大叙事詩である理由は、そこに歴史上重要な意味が隠されているからなのです。

 例えば、枕の草子の冒頭の文章。

 春はあけぼの。…
 夏は夜。…
 秋は夕暮れ。…
 冬はつとめて。…

 「春夏秋冬」には次の暗号が込められています。

 四つの王統
 春:天智系
 夏:天武系
 秋:蘇我大王家
 冬:藤原系

 そして、早朝、曙、昼、夕、夜などの一日の移り変わりは、王統の盛衰をあらわしているのです。

 先の文章は次のように読むことができるのです。

 天智系は、日の出の勢い。
 天武系は、滅亡間近。
 蘇我大王家は、衰退しつつある。
 藤原系は、新参者。

参考:『万葉集』の暗号・【寓喩】
http://ginga3396.blog.fc2.com/blog-entry-412.html
さや
2019年05月16日 12:50
議事進行役の八女の女神さま、アテルイ様、お疲れ様です
m(_)m
>邪馬台国の一番大きかった頃は
九州の北半分と山陽・瀬戸内海沿岸
と今の和歌山あたりの沿岸地域
ここまでで最大47部族(支族)を支配
こんなに(✖0✖)

九那国(狗奴国)の名残は、菊池にあります。
「狗奴国城温泉」で検索。菊池辺りが拠点という自信、ありました。

福岡ことさら八女は、今回の話にガッツリ関わってる地だと自信があります。
最後の日御子(巫女)様は、八女にいらっしゃたのでしょうか?
--------------------
邪馬台国の字については自信ないけど候補を挙げてみます。

邪馬台国(やまと?やまたい?)の字は?

・「耶馬台国」
(もしくは「耶馬壹国(やまと?
やまたい?)」)
「耶馬溪(やまけい・大分)」
宗女の「壹与(台与)」(とよ)
から

・「倭(やまと)国」
神武天皇の神倭伊波礼琵古命
(かむやまといわれひこのみこと)
(古事記)から

・「山門(やまと)国」
北部九州に多い地名
のの
2019年05月16日 10:04
やんごとなき リアドラステッカー

 日向と日向の義弟達の末裔は、やんごとなき御方達なのかもしれません。

 リアドラとともに地(つち)の岩戸開きのための神社巡りをする彼ら。

 彼らの乗る車には、しっかりとリアドラステッカーが貼られているのです。

 彼らの出自を知る人たちは、その車に貼られたステッカーを見て、密かな憧れを抱くのかもしれません。

 リアドラステッカー。

 密かなブームになるかも?
のの
2019年05月16日 09:57
大和朝廷一千年の栄光の歴史

 天智天皇の御代から始まる、大和朝廷の栄枯盛衰の歴史は、一大叙事詩として百人一首としてまとめられています。

 百人一首は、百種で一首の叙事詩なのです。

 日向は大和朝廷の帝の血筋です。そして日向の義弟達は帝の后の血筋なのです。

 百人一首は、日向と日向の義弟達の栄枯盛衰の一大叙事詩なのです。
 
参考:ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実  小名木 善行 (著)

百人一首を読む(1〜3番)天智天皇・持統天皇・柿本人麻呂
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2149.html
のの
2019年05月16日 09:41
地(つち)の岩戸開き

 地(つち)の岩戸開きは、次元融合の後、地上に転生した人々によってなされなければならない仕事となるようです。

 2度目の岩戸締めは、太陽神のカケラを魂に宿すニギハヤヒ(天照国照彦天櫛甕玉饒速日命)さまを歴史から消し去り、卑弥呼さまを天照大神とした、歴史の改竄に関わるものなのです。

 改竄された歴史の修正とともに、ニギハヤヒさまの封印の解除も合わせて行わなければなりません。

 3度目の岩戸締めは、国家統一の立役者、国祖素戔嗚尊さまの業績を消し去り、すべての罪をきせて歴史の闇に葬り去ったことであり、これも歴史の改竄による岩戸締めなのです。

 4度目の岩戸締めは、神武天皇を建国の英雄として祭り上げ、それ以前の皇統を無視した、歴史の改竄を行ったときのこと。

 この3つの岩戸締めが、記紀編纂後の大和朝廷を牛耳る日向と日向の義弟達によるものなのです。

 改竄された歴史の修正は、地上に生きる人々が行わなければならむ仕事なので、これを地(つち)の岩戸開きと呼ぶのです。
のの
2019年05月16日 09:40
天(あま)の岩戸開き

 日月神示に出てくる『五度の岩戸締め』。これは、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖に出てきます。

 まとめると次のようになります。
 くわしくは原典に当たっていただけると良いかと思います。

1度目の岩戸締め
 伊邪那岐命、伊邪那美命が別れ別れになった時

2度目の岩戸締め
 天照大神の岩戸閉めでダマシタ神がお出ましの時

3度目の岩戸締め
 素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時

4度目の岩戸締め
 人皇を名乗った神武天皇の時

5度目の岩戸締め
 仏教と共に仏魔がわたり来た時

 岩戸開きには、天(あま)の岩戸開きと、地(つち)の岩戸開きの2種類があります。

 天(あま)の岩戸開きは、イザナギさまとイザナミさまの封印の解除に関するものでした。

 これはすでに開かれています。神界の国常立神さまを始めとする神様サイドの仕事であったのです。

参考:日月神示全文 五十黙示録 02巻 碧玉之巻 19帖~01帖http://heiwatori.com/page21
のの
2019年05月16日 07:11
神と人が廻る神社の旅

 さて、次元融合後は改竄された歴史の修正とニギハヤヒの封印解除のお仕事が待っております。

 最後の卑弥子さんを筆頭に、邪馬台国のみなさまが中心となって、この問題に取り組まれてはいかがでしょうか?

 罰ゲームと呼ぶほど大変なお仕事ではないかと存じます。

 自らの足を使わず、地上に降りている末裔に働きかけて事を成せば良いのですから、人を手足として使う簡単なお仕事かと思います。

 隠された歴史に関する情報は、地方の神社の由来書きなどに残されています。

 人と神が一体となって、隠された歴史の調査を兼ねた神社巡りをするという楽しいイベントになるかと思います。

 これは、リアルドラゴンクエストをやりながら出来るかと思います。

 この事業をやり遂げると、ベルドラさまが完全復活し、天照皇大御神さまがお出ましになることになります。

 これにより、天照大神さまがその任を解かれ、重責から開放されることになるかと思います。
のの
2019年05月16日 07:07
二人の卑弥呼さん

 天照大神となった卑弥呼さんは、1世紀頃の方です。

 この頃はまだ、邪馬台国と狗奴国は仲が良かった時代ですね。

 『アーリオン・メッセージ』では、別名日向と日向の義弟達と呼んでいます。

 魏志倭人伝に描かれている卑弥呼さんが、最後の卑弥呼さんなのでしょう。

 邪馬台国と狗奴国の対立の構造を、出雲と日向&日向の義弟達という構造に置き換えてしまったのは、論理のすり替えでちょっとずるい気もしまくはないです。

 しかし、これが日本の国を二分する対立構造の元なのですから致し方ありません。

 最後の卑弥子さんの暴走の原因の一つに、トップを諌める優秀な側仕えがいなかったことが挙げられるかと思います。

 優秀な文官を育てることを怠った邪馬台国サイドの落ち度もあるかと思われます。

この記事へのトラックバック